小倉清一郎のwikiや戦績!横浜高校コーチ退任で話題!理由は?

        お

5月の後半、各地で夏の甲子園を目指す高校球児たちが、

地方大会や練習試合に忙しい週末を迎えたことでしょう。

そんな週明けに高校野球の名門、横浜高校野球部の小倉コーチ、

小倉清一郎さんが、今夏を最後に横浜高校のコーチを退任するというニュースが入ってきました。

ちょうど、昨日、春の関東大会で横浜高校がコールドゲームで初戦敗退という屈辱を味わった、

衝撃は2倍です。腹心の友である渡辺監督、ゲンさんもどんなお気持ちなのか気になりますね。

小倉コーチの伝説や今後についてチェックしました。

    

プロフィールや戦績

小倉清一郎 (おぐら きよいちろう)
生年月日 1944年6月16日(69歳)
出身地 神奈川県横浜市生まれ
ポジション 捕手

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◆選手歴

横浜高等学校
東京農業大学
三菱自動車川崎(1967 – 1968)
河合楽器(1968 – 1969)

◆監督・部長・コーチ歴

向上高等学校(コーチ:1968)
東海大学第一高等学校(コーチ:1972 – 1976)
横浜商業高等学校(コーチ:1978 – 1990)
横浜高等学校(監督:1977 – 1978、部長:1990 – 2010、コーチ:2010 – )

アマチュア野球選手時代のポジションはキャッチャー。

名将野村野村克也氏と同じです。

やはり捕手出身の指導者は、野球全体を見通す眼が違います!

社会人野球で三菱自動車川崎から河合楽器へ移籍しますが、肝炎のため、泣く泣く25歳で引退。

自分やプレイヤーとして続けられなかった口惜しさが指導者としての情熱に生かされているのでは

ないでしょうか。

母校の横浜高校時代からの同級生だった渡辺元氏と共に、

二人三脚ならぬ「二人監督制」で松坂大輔はじめ、数々の有名選手を育て上げます。

松坂に課した、アメリカンノックによる球の雨が有名ですね。しかも4時間ぶっ続け。

        小倉

まさに現在の星一徹!

松坂投手は、自分でも公言していますが、ピッチャーは走り込みで足腰の下半身を鍛え上げますが、

高校時代は、あまり乗り気ではなかったと本人も明かしています。

その松坂選手も小倉コーチの十八番のノックの洗礼を受け、後々大成する事を考えれば、

小倉コーチには感謝ですね。

小倉ノート

           小倉4

高校野球界では有名なのが、「小倉ノート」

おそらく、野村ノートを参考にされたのではないかと思うのですが、

これも緻密な戦略のもとで、采配され、勝利への原動力ですね。

実際に各球場へ足を運び、

対戦校の投手陣や打線、戦術を徹底的に分析しているんだそうです。

そういえば、関東の名将のひとり、茨城の木内元監督も

県内の各高校の投手のプロフィールから特徴まで全て記憶し、

取材に来た新聞記者驚いたという逸話があります。

どこの指導陣も物凄い努力と緻密さで甲子園を勝ち抜いているんですね~。

例えば、現楽天の松井裕樹投手、桐光学園時代の欠点として、

捕手の経験不足に不安があり、球を置きにいっている!とズバリ、

その投手の心理をついた解説をスポーツ紙で披露しています。

この洞察力で優勝候補だった桐光学園を破って、横浜高校が甲子園出場を果たしました。

こんなところも野村克也氏を彷彿させます。

今後は?

          小倉コーチ

春夏通じて5度の全国制覇を誇る高校野球の名門、

横浜高校(横浜市金沢区)野球部の小倉清一郎コーチ(69)が今夏を最後に退任することが18日、分かった。

6月で70歳になることから、同校はすでに8月31日限りで退任とする辞令を交付した。

今後は全国を巡回し、アマチュア野球の指導に携わるという。

最後の挑戦は、神奈川だけにとどまらず、全国で野球指導に打ち込みたいという意向。

もうひと花咲かせたいという男の夢ですね!

twitterでの反響も大きいです。

腹心の友と一緒に指導する、横浜高校野球部は、どんな夏になるのか、楽しみですね!

応援しています~。

最後にH24年の横浜高校硬式野球部激励会での小倉コーチの映像を。

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