旭道山が母と確執で絶縁!?過去には母の教えを講演で語ってたよ!

     旭道山1

お相撲さんと言えば、体重の身長も見上げるほどの大男を想像しがちだが、
こんな紳士的なスーツの似合う力士がいたって知ってますか?

今夜のナイナイアンサーで、懐かしや旭道山が出演するというので
予告動画チェック。

なんとお母さんとの確執があり
絶縁状態だというのです。

いったいどんな事情があったのでしょう。。。
現役時代を知る管理人としては、少々ギャップがあるんですよね。

その辺を若い頃の旭道山関を振り返りながら語っていきます。

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現役時代は大島部屋で「南海のハブ」との異名をとっていました。
体重は106キロ。

普通のサラーリーマンならメタボで注意されますが、
そこはお相撲さん、なんと幕内で最も体重が少なかった。

今なら、育盛がいますがね^^;
育盛が気になった方はコチラ

旭道山は、小兵ながら真っ向勝負が身上。
その身体能力は抜群で100mは11秒台。
垂直跳び1mという陸上の道へ進んでも活躍されたでしょうね。

その活躍ぶり。動画がありますのでご覧ください。

引退後は?

96年10月の衆院選・比例区近畿ブロックから出馬し、見事当選。
新進党議員として約4年間、政界で活動していました。

その後は、銀座の「KYOKU」のお店を出します。
自らがプロデュースした鹿児島県産黒毛和牛専門の焼き肉店です。

評判もよく、お店でご本人が出てきてくだり、一緒に写真に収まることもあるそう。
そのサービス精神はやっぱり人気力士だったゆえんでしょうね^^

ベストジーニスト賞を受賞したオシャレ!

スーツをバリッと着こなし2000年にはベストジーニスト賞も受賞されています。

俺は、関取になる前の、力士の若い衆の時から
プライベートは、ジーパンをはいていた、、、
ましては冬は皮ジャンを来ていた。

本当に、25年前の力士ではありえない姿だった、、
今でも若い力士に、そんな姿の奴がいるとは思えないが、、、

俺、若い衆の時から、ぶっ飛んでいたかも、、、俺ってファンキー?。
だから、ベストジーニスト賞をもらえたのかもしれない、、、感謝×2

そんな思いと、思い出が浮かんでくる、、

と受賞の時にブログで述べています。

母親との確執は本当なのか?

実は、調べてみると、今から約10年前、全国で講演活動もしていた旭道山。

その講演では、

徳之島商業高校へ進学する予定だったが、
母 の知人に部屋後援会会員が居て勝手に入門が決まってしまった。

迷ったが、母の「男 ならやってみなさい」の一言で入門を決意した。。。

と語っているんです。

そして・・・

大けがをしても休場しなかったのは「母の教えがあった」

子どものころ、病気でも学校に行かせた母の言動から「続けることの意義」を教えられ、

今にして思えば、限界を乗り越える教えだった。

そんな内容で講演活動を行っていたことがあるんですよ・・・。

これが事実ならば、母親との確執が生れたのは、その後だったのでしょう。

いったい何が原因で、感謝の思いが憎しみに変わってしまったのでしょうか?

番組でどんなことが語られるのか。。。

【追記】

番組では、幼い頃の極貧生活や
驚くような境遇を再現ドラマで紹介される。

「なぜ母は自分の店を出て行ったのか?」
「なぜ父と別れたのか?」

親子の関係を修復するには、
聞きにくいことを直接聞き、本音をぶつけるしかない。

母は父の別れの真相はお金の問題だった。
東京にいた時から、生活費を入れなかった。

店を飛び出した理由は
店長である弟から「おふくろ明日からもういいよ」と言われたことだと。

それに対して、
「けど、でも、たら、れば、ってそっちから教わったことだよ」
「そっちはそっちの人生でこっちはこっちの人生で動くから」
と息子は母にキツイ言葉を。
育てたように子は育つ。

ここで心屋先生は、
「子ども時代を生きられなかった彼にとっての反抗期」だという。

再会後、母から初めて手紙をもらう。
幼い頃から辛い思いをさせたことへの懺悔の手紙だった。

あんまり自分に厳しく律してきたため、
子どもらしく親に甘えるという経験がないまま大人になってしまったんですね。

親子のわだかまりが解けて、
これから、ありのままの関係になれることをお祈りします。

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