小磯靖紀監督の経歴やプロフィール!死因は?葬儀告別式も!

春高バレーの常連校、東京の東亜学園のバレー部小磯靖紀監督が

お亡くなりになったとのニュースが入ってきました。

16日未明、心筋梗塞のため死去されたとのこと。享年53歳。

その日は、新春1月から始まる春高バレー全国大会への出場を決めた日。

指導してきた生徒と共に、出場決定を喜び、全国制覇に向けて、

意気揚々としていた矢先のご逝去。

直接のかかわりはなかったとしても、春高バレーファンは多いですからね、

筆者もバレーファンとしてショックです・・・。

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通夜・葬儀・告別式の予定

20日に通夜、21日に葬儀・告別式が行われる予定。

告別式は準学校葬の形で職員らが校旗とともに参列、当日に全校で黙とうを行う予定。【引用:スポニチ】

通 夜  11月20日(木) 午後6時より

場所 泉龍寺別院 (小田急線「狛江駅」下車徒歩3分)

住所 東京都狛江市元和泉1-13-18 

電話 03-3489-4813

告別式  11月21日(金) 午後12時から午後1時

場所・住所・電話は同上の泉龍寺別院【引用:東亜学園HPより】

プロフィール

      小磯靖紀

小磯靖紀 (こいそ やすのり)

生年月日 1960年生 53歳

出身地 東京都出身

学歴 都立南高校から青山学院大学

1986年から東亜学園高校バレーボール部コーチに。

その後、馬橋洋治監督がお亡くなりになった後、監督に就任。

・2007年 春高バレー優勝
・2007年 インターハイ優勝
・翌2008年 春高バレー連覇
・2011年 新生春高バレー初代王者

経歴

バレーボールとの出会いは、昭和47年、小学6年生の時、

ミュンヘンへの道

「ミュンヘンへの道」というアニメに夢中になり、自分でも

憧れてバレーボールを始めるきっかけとなったそう。

女子バレーでいったら、『サインはV』や『アタックNO1』ですね。

昭和の高度経済成長期には、会社や工場で、親睦の意味もあって、

昼休みに円陣を組んでバレーボールをやっていたと両親から聞いたことがあります。

ミュンヘンオリンピックで男子の全日本チームが優勝し子ども達の憧れの的だったのです。

中学高校とバレー選手として活躍。

その後、青山学院大学入学後は、母校でコーチも手伝っていたんだそう。

すでに指導者としての道を歩んでいたんです。

大学卒業後、東京都中野の新井薬師近くにある東亜学園高等学校に英語の教員として赴任。

着任時からバレーボール部の監督として指導に携わっていました。

どのくらいの生徒さんをご指導し、その後もお付き合いしているんでしょうね。

高校時代の部活の監督って、偉大ですし、卒業後は、現役時代と違って、

人間味あふれるお付き合いが出来るんですよね~。

おそらく長い付き合いの中、深い信頼関係でつながっている教え子さんも多いことでしょう。

ご冥福をお祈りいたします。


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