ガロの堀内護(まもる)の死因や病気とは?愛称のマークやテニスについて!
本日、お昼、悲しいニュースが舞い込んできました。
1970年代、70万枚以上を売り上げた『学生街の喫茶店』で
知られる『ガロ』。そのメンバーだった堀内護(まもる)さんが、
お亡くなりになったということです。
65歳というまだ早すぎる訃報に、70年代の活躍を知る多くの人が驚いています。
死因はなんだったのか?
また、懐かしのガロの解散後、どんな人生を送っておられたのか、
調べてみたいと思います。
ガロ・・・懐かしいですね^^;
筆者はまだ幼かったのですが、幼心にいい曲だな~と
口ずさんでいたことをよく覚えています♪
まずは、『学生街の喫茶店』を聴いてみましょう♪
若い世代の方も耳にしたことがあるのではないでしょうか?
サングラスがトレードマークのガロの堀内さん。
マークという愛称で呼ばれていました。
堀内護のプロフィール
・本名 堀内 護(ほりうちまもる)
・愛称 MARK(マーク)
・生年月日 1949年2月2日
・出身地 東京都出身
・没年 2014年12月9日(満65歳没)
・バンド 元ガロ
ガロとは?
1070年代、ヒッピーやフォークロアファッションと共に
フォークソングが大流行でした。
そんな中、バンド仲間だった堀内護さん、日高富明さんに
大野真澄さんを加え結成されたのがガロ。
結成してからしばらくは全くヒット曲もなく
無名時代が・・・。
そこでレコード会社や事務所の押しで出会ったのが
『学生街の喫茶店』でした。
これが大ヒット!
「君の誕生日」や「ロマンス」などヒット曲を
世に生み出しました。
年末のレコード大賞の受賞や紅白歌合戦にも出場しました。
死因や病気について
発表された死因は胃癌。
実は、2年前にも病気入院を理由にライブを中止している経緯が
有りました。感染症を患った事もあったそうです。
徐々に病魔の襲われていたのですね。
お酒もお好きだったようで、
古くからのファンの間では、健康状態を心配する声も
多かったそう・・・。
ストレスも抱えていたかも知れませんね。
解散後はテニススクール?
そんなガロも、ヒット曲は自分たちで作った曲ではなかった。
中心メンバーだった日高さんは、そのことに悩む・・・。
自分の曲でなく与えられた成功に許せない思いが強かったそうです。
そんなこんなで、日高さんが脱退し、その後ガロも解散。
解散後はそれぞれの道を。
堀内さんは、長髪をバッサリ切って、心機一転、
テニススクールを運営し実業家として順調な日々を送っていました。
一方で、日高さんはロックバンドを結成したものの売れず。
理想と現実のギャップに苦しみ、のちに自宅近くの
マンションから身を投げます。
そのことがきっかけで、順調だった事業を辞めて、
また音楽活動を始めた堀内さん。
実は、日高さんが亡くなる前に堀内さんと
また一緒にやらないかと誘っていたんだそう。
それも断ってしまったことを悔やんでいたのです。
そして、ライブハウスを中心に再び『学生街の喫茶店』を
歌い続けていた・・・。男の友情でしょうかね!?
いま、天国でふたりで再び歌っているでしょうか?
こころからご冥福をお祈りします。
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